屋上庭園の文学ブログ

日本文学に関すること、興味を持った映画の感想、観劇レポなどを書いていきます。

川端康成『雪国』は不倫小説?

川端康成というと日本人で知らない人はいない超有名作家で、ノーベル文学賞受賞の名誉ある作家として知られる。

 

私もこの作家は大好きでこれからも度々取り上げようと思っているのだが、知名度の割に作品が読まれていない作家だという気がしてならない。

 

代表作『雪国』についても、冒頭の一文は知っている。だけどどんな小説かは知らない。そんな人も多いようだ。

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 

この一文の効果については、日常世界から非日常の世界へ。こちら側の世界から向こう側へという境界をくぐる意味が認められよう。

 

宮崎駿アニメの『千と千尋の神隠し』のトンネルとおんなじである。

 

リアリズムではある。しかし夢幻でもある。

 

雪国に向かう汽車の中で主人公の島村は葉子というヒロインの目を「夜光虫」と見る。こんな感じだ。

 

瞳のまわりをぼうっと明るくしながら、つまり娘の瞳と火とが重なった 瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ、妖しく美しい夜光虫であった。

 

実に、美しい。

 

島村はこの葉子に惹かれつつ、芸者の駒子との恋を楽しむのだが、島村には妻子がいるのでさみしい駒子を救ってやることはできない。つまり、深入りはできない。

 

島村にとってこれは雪国という異界における出来事なのであり、妻子のもとに帰れば日常が待っている。

 

それから島村は無為徒食の徒であり評論家などと言っているけれど定職は持っていない。

 

文学的な夢幻のフィルターを通さずに見れば無職のろくでもない亭主が金のあるのをいいことに浮気して遊んでいるトンデモ小説なのである。

 

夢幻のフィルターを通すからこそ世界は美しく見える。文学の偉大な効用であると思う。